八重の桜

昨日からNHK大河ドラマが始まった。今年は八重の桜。

会津から京都へ向かった八重を見ているとどうしても下の子を思ってしまう。

 

 

会津若松市であの日あの時を迎えた。下の子は通学の為一人で福島市の我が家に居た。

立っていられない程のひどい揺れ、それも長い間揺れ続ける。このまま社宅が崩れるんじゃないかという恐怖とどうすればよいか分からない不安で足をすくめていた。

揺れている時間は相当長かったが、会津若松市は震源から遠かった為停電や断水も無く大きな被害はなかった。

大きな揺れが収まってテレビをつけるとそこには想像を超える惨事が映し出されていた。

自然の脅威に人間はなすすべがない。ただただ震えるのみだ。

けれどその後その脅威を上回る惨事が福島を襲うとは誰も考えてはいなかったけれど。

次の日、道路情報を確認して、土湯トンネルを抜けて下の子を迎えに行った。下の子はその時22歳大学の卒業を控えていた。停電で水も出ない携帯も不通の不安な1夜を友人宅に避難して過ごし、迎えに来るのを待っていたのだ。

福島市に向かう道は地割れが出来、波打っていたが、車で走れないほどではなかった、けれど信号は停電でどれも点いていなかった。まるで映画で見た怪獣に破壊された町のようだ。

我が家に近づくと一層その感じは強くなった、水を貰うために沢山の人が行列を作っている。余震が有る為子供だけ家に留守番をさせられない。みな小さな子の手を引いて並んでいる。これは映画だ・・・。

下の子を見つけ、会津若松市に戻ると少しほっとした気持ちになったのもつかの間、その時がやってきた。原発事故。

誰もそのことを理解できない、どうすれば良いのかも分からない、答えを教えて!

その日から福島は混乱の中にあった。

その時多くの福島の親は思ったはずだ。子供だけでも避難させたい。

迷わずうちもその決断をした、京都にいる上の子の元に下の子を避難させよう。電車も高速道路も止まっていたが新潟行きのバスだけが動いていた。これに乗せよう。

朝早く上の子に電話をした、「原発が良くない、下の子を頼みたい。」上の子は承知していた、原発が良くないニュースはもうネットで世界中に回っている。

バス乗り場に向かうとそこには殺気立った人の群れがあった。メガホンで全ての人がバスに乗れますと何回もコールしている。

小1時間待っただろうか、バスが来て乗る時下の子は泣いていた。泣くことないのに泣いていた。後から聞いたら、わたしはおとうさんとお母さんを捨てて1人で逃げて行くんだと思ったんだとか、そんなことないのに。

 

今下の子は京都に腰を据えている。今の会社の人に助けられ、友人にも恵まれてそれはそれで良かったのかもしれない。何よりも上の子のお蔭なのだけれど。

八重も会津から京都へ兄を頼って向かっている。お正月に八重の桜見なくちゃねと話し合えたのは、復興の途中にあるとはいえ、福島も落ち着きを取り戻しているという事かも知れない。

風評被害はまだ当分続くのだろうけれど、私たちの故郷福島は無くならないのだから。